8年越しの花嫁 奇跡の実話 男女の理想的な関係 現実の夫婦は?

『8年越しの花嫁』を観て、男女のあり方について考えさせられました。信念を貫き通した尚志さんに心から敬意を表するとともに、男女のこういうあり方もあるんだなぁとしみじみ思ったところです。


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8年越しの花嫁映画ネタバレ 全て実話!病名は ロケ地は?

2017.12.31

8年越しの花嫁 奇跡の実話 男女の理想的な関係 現実の夫婦は?

入院から麻衣さんはずっと昏睡状態でした。それから1年半ほどして初めて目を覚まします。 でも、それはただ単に瞼を開いたというだけで、それから1年半ほどは、目は開けるが表情がない状態でした。

そして、入院から3年が経った頃、麻衣さんの表情に笑顔が宿ったのです。

この時、尚志さん、自分の願いが通じたんだと喜びを噛み締めたそうです。

尚志さんの信念、一念岩をも通すの考え方が呼び込んだ勝利です。

ところで、コケの一念というフレーズがあります。

自分、今の今まで苔の一念と思っていました。

岩の上になんて根を張ることはほとんど不可能に近い。

でも、苔って進化の過程で、生息する術を身につけ、しぶとく現代でも息づいている。

要は苔の一念がもたらした完全勝利で、その結果、岩をも通したのかなぁって。

ところが、コケは虚仮って当てるんですね。

虚仮の意味は、嘘、絵空事の意味で、虚仮の一念岩をも通すってフレーズになると、愚かな人の意味になる。

つまりは、

どんな愚かな人でも思いを一途に行えば岩を貫通するような大きな仕事も出来る!

ということになります。

自分を愚かな人にたとえて、多少自嘲気味に、自分のような小人でも、我慢を重ねて努力すれば、きっと報われるということなんですね。

いいフレーズだと思いますが、あくまでも、第一人称で使うべきで、第三人称で使用すると馬鹿にしたイメージになっちゃいますね。

言葉って本当に難しいです。

でも我々はこの難しい言葉を駆使して、人を励ましたり、励まされたり、勇気付けたり、勇気付けられたりしてるのです。

駆使できる言葉巧みな人はいいけど、尚志さんのように、言葉より沈黙のニュアンスを重んじる人の場合は、変わらぬ想いを強い一貫性のある人間そのもので示さなければならない。

これができる人素晴らしいし、そういう人に見初められた麻衣さんは、本当に幸せ者です。

あらためて、ごちそうさま。(笑)

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8年越しの花嫁 奇跡の実話 尚志麻衣夫妻に見る理想の夫婦とは?

麻衣さんのご両親の、親としてのバランスに、大きな暖かみを感じた自分なんですが、何故でしょう?

麻衣さんはご両親をみて、大いに自分の思春期を親のそれとダブらせました。

母親主導で成り立っていく夫婦は、自分にとって決して悪くない。

言葉少ない男性なら、その寡黙を自分の明るさで補えばいい。

決断乏しい男性なら、その決断を良き方向へ促せばいい。

面白みのない男性なら、逆に自分が笑わせればいい。

麻衣さんは、きっとそんな風に物事を考える人。

そして昏睡して沈黙している間も、沈黙のしがちな尚志さんとの間で、沈黙合戦を果敢に挑んだんじゃないでしょうか。

今考えると、寡黙な尚志さんが言葉発しない麻衣さんに対して、どんな言葉をかけ続けたかがとても気になります。

男を尻に敷くようでいて、内実そうではなく、尻に敷きたくなる自分を細やかさでくるんで仕舞える人なのかもしれない。

それらの模範となったのが、麻衣さんのご両親。

実は、麻衣さんのご両親も、尚志さんと同様、麻衣さんの闘病記録を記してました。

時にそれを交換し合ったこともあったでしょう。

日記って、人間どう書いても若干は飾りますよね。

尚志さんにしたってきっとそうだと思います。

でも、その飾る自分の中に、考えもしなかった本当の自分の気づきがあったりするんです。

尚志さんもご両親も、自分が記した闘病記録を読み返して、何度も何度も気持ちをリセットした。

リセットする中で、仕切り直しの一歩に力強さを増してくる。

それの繰り返しです。

言うなれば、尚志さんもご両親も互いに、麻衣さんをこの世の世界に引き込む同士だったのです。

さて、自分が抱くご両親のイメージ。

自分の理想は、父親は薫育、母親は愛育。

このバランスがあってこそ、子供は健全さを身につける。

そんな風に思っています。

そして、どんな時にも、親は子供に関心と執着がなければなりません。

うまくいこうがいくまいが、気にかけ、子供に対してお節介さを示していく。

過保護じゃないんです、お節介なんです。(笑)

子供は、当然ウザいと思うでしょう。

思春期の頃はなおさらです。

ある程度の距離を保ちつつ、それでも強い関心と執着を示すんです。

関心と執着が大迷惑なら、そこで親は覚悟を決めていきます。

自分は子供を放っておかなかったし、自分は子供を無関心で放置しなかった。

でも、今は自分の子供を信じて覚悟を決めるべき時。

そのうち、きっと子供は自分の元に戻ってくる。

その時に備えて大きく手を広げて自分は待っているだけでいい。

そうした気持ちの繰り返しが、もっともっと強い子供に対する透明感ある執着になっていくんです。

あれれ?ちょっと熱くなりすぎました。(笑)

とは言いつつも、子育ては人類にとって、大きなテーマ、命題の一つです。

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驚愕!男親と女親の子育てに対する考え方と行動 薫育の中に壮大な諧謔あり!?


そんな中、男親の子供に対する向き合い方と、女親の子供に対する向き合い方では180度の差異があると思っています。

自分は面白い画像を入手したので、男親と女親のユニークな子育て感という視点で、リラックスしてご覧ください!

女親が積み木で子供を知育していくとすれば、男親は豪快に危険を察知する術を学ばせる、そんなところでしょうか?




女親が『◯◯ちゃん、ご飯食べたからハミキミキしょーね。』
なんて言っているそばで、男親『あー、歯磨きなんて面倒くせー、口モゴモゴしてんなら、俺の指でも舐めさせとけ!』こんなイメージでしょうか?(笑)




女親は包丁を持つ手に緊張感を走らせながら、丁寧に丁寧に。一方で男親ときたら、火傷も顧みず、子供を危険に晒します。




買物時に女親は、『今日のベイビーちゃんの献立はー?』だけど、男親は『何で俺が買物なんてしなきゃいけねーんだよ、しかも子供付きで!ほなら、窒息しない程度に置くか。』




女親は遊園地は子供主体に考えますが、男親は一見子供主体に考えますが、結局は自分が大盛り上がりです。




女親は大きな動物から受ける恐怖を一緒にシェアしますが、男親は、一方的に恐怖を子供に味あわせます。




女親は幼稚園のお遊戯会や発表会で一番いい役をやらせたがりますが、男親は自分をダシにした笑える役をやらせたがります。




女親はどんな食べ物も自分と子供はシェアしたがりますが、男親は、まず自分が食にありつくことに専念します。




女親は子供の成長を願い、読み聞かせをやってあげますが、男親は子供と一緒に楽しむはずのゲームを奪って自己記録に挑みます!




いかがでした?ちょっとデフォルメしすぎましたが、なんか一般的にはこんなご家庭多いのでは?

でも、大丈夫です、前の主張と真逆ですが、子供は放っぽいても育つもんです。(おしまい)

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