星野仙一膵臓癌永眠2017年殿堂入り田中将大に祝福されたばかり

プロ野球の巨星がまた落ちました。
楽天の球団副会長・星野仙一氏が膵臓癌で亡くなりました。享年70歳の若さでした。


スポンサーリンク



星野仙一永眠2017年殿堂入り病気長患い顔ゲッソリその功績をたどる

星野仙一氏の横顔

星野仙一氏プロフィール

本名 星野仙一(ほしのせんいち)
出身地 岡山県の旗岡山県児島郡福田町
(現・倉敷市)
生年月日 1947年1月22日
身長 180 cm
体重 80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1968年 ドラフト1位
初出場 1969年4月13日
最終出場 1982年10月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
【選手歴】
岡山県立倉敷商業高等学校
明治大学
中日ドラゴンズ (1969 – 1982)
【監督・コーチ歴】
中日ドラゴンズ (1981 – 1982, 1987 – 1991, 1996 – 2001)
阪神タイガース (2002 – 2003)
東北楽天ゴールデンイーグルス (2011 – 2014)

星野さんは、選手としては13年間の稼働域で146勝を挙げ、そのうち35勝が巨人からの勝ち星。そのため『巨人キラー』という名を馳せました。

星野さんが、そのポジションを我々の記憶に留めたのは、選手時代というよりも、監督に就任してからのものだったかもしれません。

1987年から古巣の中日監督へ就任し、 88、89年を中日監督としてリーグ優勝 2003年を阪神の監督として勝利に導き、史上初の2球団優勝監督の栄誉を獲得しました。そして最高の殊勲は 2013年に楽天を日本一に導いたことでしょう。

低迷していた阪神を18年ぶりに優勝に導いた胴上げ!

星野さんは2011年から東北楽天ゴールデンイーグルスの監督として就任をしていましたが2014年5月26日には腰痛が悪化して休養。この時の検査の結果、「腰椎椎間板ヘルニア」「胸椎黄色靭帯骨化症」という病気であることが判明しました。

2014年7月24日に監督として復帰をしましたが2014年9月18日で楽天の監督を退任。この理由はチームの成績の低迷と病気で約2ヶ月離れていたことであるとしています。

そして2014年11月には楽天のシニアアドバイザーになり、2015年9月には楽天野球団の副会長に就任をしています。

スポンサーリンク



星野仙一 膵臓癌 永眠 2017年殿堂入りその激ヤセぶりに周囲呆然!

そして星野さんは2017年1月26日には野球殿堂入りが決定しました。祝福のため、楽天のオーナーである三木谷浩史氏が、「星野仙一氏の野球殿堂入りを祝う会」を都内と大阪で祝い、多くの著名人が参列しました。

祝う会の模様です↓

星野さんを祝うべく、ニューヨークから田中将大氏も駆けつけて盛大裡に終わったというわけです。

ちなみに東京では2017年11月28日に、大阪では2017年12月1日に開催されたので、ほんの1ヶ月前までは元気な姿を見せてくれていたんです。

とはいえ、星野さんの激ヤセぶりに周囲はびっくりして、一部では何か重篤なご病気なのでは?と、囁かれてきたところです。

周囲のその心配が的中し今回急逝されたわけですが、病名は膵臓癌ということで、2016年7月に急性膵炎を発症したことをきっかけに膵臓癌であることが判明してらしいです。

ずっと闘病を続けていらしたんですね。

スポンサーリンク



星野仙一膵臓癌 永眠 その功績を称え急逝を惜しむ声 ネットの声の反響をここに!

ネットの声①
「星野さんの思い出のシーンはやっぱり阪神の18年ぶりの優勝。長く低迷していたタイガースを俄然盛り上げ、その気にさせ、優勝に導いた。あの感動は忘れられない。」

ネットの声②
「星野さんが楽天でチームを引っ張ってるとき、まさかあの弱小チームが日本一になるとは夢にも思わなかった。星野さんて、そんな夢物語を実現してしまうすごい人だった。」

ネットの声③
「膵臓癌だって?身体の奥の方にある臓器だからなかなか見つからず、手術自体も難しいんだって。急変してしまったのがとても残念。」

ネットの声④
「格好良くてダンディーな人だったなー。自分は胃腸が弱かったから仙一さんの『センロック』お世話になりましたよ。」

ネットの声⑤
「星野さんを語る時、選手を育成する力みたいなことがよく言われる。選手起用がとてもうまかったんだろうな。」

ネットの声⑥
「多くの人が悲しんでいます。星野さんの野球を愛する心、もっと普及させなきゃならんですね。」

スポンサーリンク



今回のご不幸を受け心から星野さんの功績を称えると共にご冥福をお祈りします

いずれにしても、プロ野球界の巨星がまた落ちていきました

昔は星野さん、熱くなって試合中猛然と抗議したり、暴言吐いたり、乱闘したりと大変だったらしいですが、その直情径行な気質は、なんか面白いやつだなって、周りから思われてたらしいんですね。

監督時代も、熱くなるのはもちろんありました。

でも、それは選手の立場に立って考えてのことから起因した愛情の裏返し。

多分その頃には『熱い』から『温かい』に変化していったのではないかと思います。

怒られても、そんなにズシリと来ない怒り方の人っていますよね。

何でしょうか、声質?顔の表情?あとのフォロー?どんな要素がそう思わせるのでしょうか?

星野さんは 怒られてもまた怒られた方が甘えたくなる、そんな人だったように感じます。

いずれにしても、70歳の人生のおつとめ、大変お疲れ様でした。そして、ステキな思い出をありがとうございました。(おしまい)

スポンサーリンク



*このブログに関してご質問などがある方は下記の問い合わせフォームをご利用ください。

よろしくお願いいたします。

徐槿栄 逮捕 顔画像とFacebookを調査!【残虐】死産と間違え赤ちゃん放置
東京・歌舞伎町で生後間もない赤ちゃんの遺体が見つかった事件で ...
続きを読む
貴公俊 付け人に暴力 【呆然】遅刻早退 貴乃花 この親方にしてこの弟子あり?!
日本相撲協会は、貴乃花部屋に所属する貴公俊(たかよしとし)が ...
続きを読む

インターネットビジネスの歩き方

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です