小林麻央 病床六尺 全世界を周遊する浪漫飛行への想い!

狭い病床から覗く窓。視点を変じれば、そこから無限の可能性と世界が広がっていく。だけど、普通の人間にはおよそそれは難しい。死と向き合う状況だからこそ、否応無しに辿り着く心境なのか。それとも、選ばれたる人間のみ得られる境地なのか。麻央ちゃんの闘病のおよそ120年ほど前、同じように病床にて苦悩し、未来に希望を打ち立てた人物がいました。今回はそのことに触れていきます。

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麻央ちゃんのブログを見て涙が止まらない。

条件反射のように涙腺が緩む。

条件反射のようにではなく、条件反射なんです。

何も自分の情感が人より無駄に多い訳でもなく、涙腺が緩みやすい訳でもありません。

自分が過去に培ってきたこと、それが心の上澄みになってその表層部分にさざ波を立てていく。

そんな風に感じるのです。

麻央ちゃんの病と闘う姿を見て、自分の大好きな司馬遼太郎さんの著書『坂の上の雲』の中の登場人物・正岡子規のことが息急き切って思い出されます。

世間の人は明治の文豪・夏目漱石は知ってるけど、正岡子規は知らない。

名前は知っていても何をした人か分からないという人が多いです。

子規は、俳句・短歌といった日本の古い短詩型に新風を入れて、その中興の祖となった人です。

実は二人は親友でした。

東京大学予備門(今の一橋大学)の頃、二人は出会い、互いを無二の友と認め合いました。

漱石のゆったりした性格と、子規のせっかちな性格が不思議と調和したと言われています。

一時は下宿を共にするのほど仲が良く、予備門時代は互いに俳句に熱中した二人です。

子規は帝大に進み哲学を勉強していましたが、喀血した頃から我が生涯の短きことを悟り、国文科に転身して、一気呵成に俳句の道に我が身を没入することになります。

この頃、子規は俳句革新に全魂魄を賭ける覚悟をしたのです。

彼は恩師である新聞『日本』の社長・陸羯南に、俳句という魔物に取り憑かれてしまった自分はもうそこから逃れられないとし、俳句に一生を捧げる覚悟であることを告げました。

子規は新聞『日本』の社員として、精力的に俳句活動に没頭していくことになったのです。

学生の頃からこの新聞『日本』の執筆に関わり、特に文芸の分野に関わって来た子規は、みるみるその才覚を世に表していきます。

子規の俳句や俳論が飛躍的に成長するのはまさにこの頃でした。

中でも『ホトトギス』の人気は物凄いものがあり、親誌面の『日本』を凌ぐ勢いがありました。

夏目漱石は、子規の勧めもあって、この『ホトトギス』の中で『我輩は猫である』や『坊ちゃん』を連載し、世に文豪の名を留め置くことになったのです。

それほどの仲でした。

そして子規の親友がもう一人いました。

東京大学予備門まで一緒だった同郷の秋山真之です。

彼は途中で志を変じて海軍で身を立てようと予備門を辞めています。

海軍に転身した後も、真之は病身の子規を時々見舞いに行きました。

ある時、真之は諜報活動の一貫とした留学生の選抜試験に合格し、近くアメリカにいく予定になっていました。

そんな時、真之は子規庵を訪れたのです。

送り出す側の子規は、真之に最大限の想いを授けて彼に餞けします。

日本人は猿真似の民族と言われているが、外国に行っても卑屈になってはいけない。西欧とて模倣を繰り返し、漸く猿真似が終わったところじゃ。イギリスもフランスもドイツもロシアも真似しあい盗みあって文明を作り上げた。西欧はそれを15世紀にやって、日本はそれを19世紀にやったというだけの違いじゃ。

この言葉は真之を否が応にも奮い立たせます。

送り出した子規は、数日後、彼主宰の『ホトトギス』にこんな俳句を載せました。

『君を送りて 思うことあり 蚊帳に泣く』

これについて、作者・司馬遼太郎さんはこんな風に子規の気持ちを代弁しています。

子規ほど自分の才能について自負心の強い男はいなかった。彼は文学だけでなく、政治家ですら自分は適材であると思っていた。ところが世過ぎの職業は新聞記者であり、しかも社長の陸羯南のような政治記者ではない。文芸欄の担当者だった。もちろん文芸は彼一生の大仕事であったが、かつて中学生の頃、自由民権演説に凝っただけに、何処かで政治こそ男子一代の仕事であるといった気持ちがある。さらには彼の病気が新聞記者の実務をも彼から奪い、病床での原稿書きという生活を強いた。若い頃の壮志を思うと、まだ30というのに人生が窄まる一方であった。やがては死ぬと覚悟しているに違いない。どれほどのことをこの世に残し得るかを考えた時、あの自負心の強い男は、真之が去った後、おそらくあの日蚊帳に泣いたのかもしれない。

子規は真之の境遇が羨ましかった。

海軍参謀として全世界を股にかけ、自分の志を広い世界に展べることができる真之の境遇が。

子規はある時、真之にこう言いました。

『淳さん(真之のこと)にとって世界は広い。あしには深いんじゃあ』

子規は晩年、歩くことすらままならない身体に成り果てた。

病床六尺とは病に伏しているその広さがたたみ一畳分であることを指します。

彼の天地はこの狭い六尺の世界でしかなかった。

子規は自分の境遇をこうも言いました。

『人間というものは、蟹が甲羅を乗せて穴を掘るがように、自分が生まれつき背負っている器量通りの穴を、深々と掘っていくしかないんじゃ。』

子規は自分が捉えている病床の窓から、切り取られた世界ではあるけれども、己の想像力をはたらかせて、全力で想いを巡らしていきます。

でも、末期の結核からくる結核性カリエスに冒された子規は、痛みと苦しみでのたうち回るのです。

『悲しければ泣く。苦しければ呻く。盛んに呻き、盛んに泣けば、その痛みが少し減ずる。』

そうした痛みと苦しみの合間に、彼は沸々と湧き出ずる創作意欲をどんどん形にしていったのです。

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小林麻央 壮大な浪漫飛行の行き着く先に家族という安住の地に辿り着けました!

翻って、麻央ちゃんも同じような道を歩んだのかもしれないと想像してしまいます。

結核性カリエスと末期ガンの違いはあるにせよ、狭い病床の中で、自分の想いを世間に発信していく姿は、似過ぎるほどに似ています。

そして、病室の窓で切り取られた、そこから見える世界に対する愛着を、惜しげも無く注いでいっている。

さらには、麻央ちゃんは、姉が見舞い、子規は妹・律が見舞った。

そこに横たわっているものは、兄妹の絆、姉妹の絆、そして家族の絆であったのです。

以下は麻央ちゃんの、身体は病室に縛られるけれども、心は、魂は、壮大な浪漫飛行をしているという、彼女らしいメッセージです。

癌だって、
ステージ1の時点で診断される人も
いれば、
気づいた時にはステージ4の人もいる。

順調に治る人もいれば
余命宣告から奇跡みたいに治る人もいて、

そうでない人もいる。

良い方をみても きりがないし、
悪い方をみても きりがない。

良い方をみてしまうとき、
私は、
なぜここまでにならなければ
ならなかったのかな、
と思うことがありました。

もちろん
自分自身の過ち 積み重ねなど
あるにせよ

何故、順調に治っていく道では
なかったのだろう、と。

でも、

いつからか、

私はここまでになる必要があったんだ
と思うようになりました。

そう思えるときの穏やかさは
魂が納得しているのだと感じます。

魂って自分が思っているより
ずっとずっと自分にロマンを
もっているのでしょう。

だから しんどくて寝ているときは
小さい小さい世界に閉じ込められている
みたいに感じますが、
実は逆で、
魂は壮大な浪漫飛行中なのでしょうね。

[出典:小林麻央 オフィシャルブログ 2017.4.13 『浪漫飛行』]

でも一番2人が似ていたのは、本来自分の言葉にたっぷりかかってしまう主観を排除して、とても客観的に、そしてユーモラスに、気持ちを凝縮している点だと思います。

麻央ちゃんの言葉が、今、全世界を浪漫飛行しています。(おしまい)

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