豊田真由子 田中絵里緒とは無二の親友?いきなり噴出 豊田擁護論!

今、豊田真由子議員の無二の親友、田中絵里緒さんが熱い!
入院療養を貫く議員生命上、瀕死の豊田女史の救世主、出現である。
そんな中、豊田女史は『文春砲』の取材で、久々のコメントを世に送り出した。
マスコミに追い詰められ自民党を離党してのち入院してからというもの、彼女は浮き世を離れ、虎視眈々と自己防衛の機会を狙っていた!


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豊田議員 友人を仲間に引き込み自己防衛!その関係性の曖昧さに愕然!

『文藝春秋』10月号に、豊田真由子議員による「独占告白」と題した記事が掲載された。

取材 6時間、紙面8ページ。

その内容はほとんどが、言い訳と自己正当化に終始した印象だった。

まずは、豊田真由子議員のプロフとこれまでをご紹介!

豊田真由子議員

豊田真由子議員

豊田真由子衆議院議員のプロフィール

生年月日 1974年10月10日(42歳)
出生地 日本の旗 千葉県
出身校 東京大学法学部卒業
ハーバード大学大学院修了
前職 厚生労働省老健局課長補佐
所属政党 自由民主党→無所属へ
称号 修士(ハーバード大学・2002年)
公式サイト とよた真由子 公式サイト
選挙区 埼玉4区
当選回数 2回
在任期間 2012年12月18日[1] – 現職

豊田真由子議員。

華々しい経歴を提げ、清楚なスタイルに身を包み、やさしい声色で理路整然と政策を語ってきた彼女。

この人、いろんなバージョンで被害者秘書に罵倒を重ねてきたのを知らない人はほとんどいないだろう。

てな訳で、豊田真由子議員の絶叫・YouTubeをご紹介!

第1弾・ミュージアル風怒鳴り声!

第2弾・赤ちゃん言葉風怒鳴り声!

https://youtu.be/4ArywucksYU

第3弾・ぶりっ子風怒鳴り声!

政界のピンクモンスターと言われる豊田真由子衆議院議員。

軽やかな身のこなしに密やかな韻律すら漂わせていた才媛中の才媛。そんな豊田女史が、まさかこれほどと疑うべき裏の顔を覗かせてくれるとは。

これだからこそ、人間て面白い。

これだからこそ、人生は味わい深い。

まぁ、それはそれで驚愕だったけど。笑

ストレスは誰でも溜まります。

ここまでならずとも、もう少し細かく小刻みに発散すればよかったのに。

つか、これで細かく小刻みだったりして。。。

とはいえ、豊田議員、まだ入院中のはず。

『週刊新潮』にスクープされて、その後の特ダネを『週刊文春』に提供するなんて、何やら『策士、策に溺れる』式の負の匂いがする訳なんだが。

とにかく、あの一連の出来事以降、彼女は沈黙を貫いていた。

様々な記事や憶測に対して、反論も釈明も反省も何も示さなかった。

そんな中、彼女が『文春砲』で公にした発言内容は、

「この度は元秘書のAさんには大変なご迷惑をおかけしました。(中略)まだ入院加療が続いておりまして、このような形を取らせていただくことをお許しください。」

である。

とはいえ、謝ったそばから豊田女史は、Aさんを非難する傍若無人ぶり。

例えば、

「Aさんは幾度となく『わざとではないか』と思うほど失敗を繰り返していました」

とか、

「移動の道と終了時間を間違えて、ようやく到着したら集会が終わっていた」

とか、

「私を支えて来てくださった方々の信頼を壊すに至るような失敗もありました。それは看過することのできない問題でした。」

とかとか。

「それが、あの暴言に繋がってしまった」

というのである。

これは謝罪のようで決して謝罪ではない。いわゆる自分を正当化する釈明だ。

これじゃ、仮に記者会見を開いても、謝罪をしつつ、Aさんの悪口を言っているうちに、感極まって、「違うだろーっ!」と、逆ギレするのが目に見えている。

事務所では、これまでにも15名程度が、公設私設合わせて秘書が辞めていると彼女は言う。

Aさんが無能というなら、失態ばかり起こすというなら、その辞めさせた鬼籍に加えればいいだけのこと。

だが、一面では、Aさんも議員の尻尾を掴むために、わざとヌケサクを演じていた可能性がある。

そしてわざと彼女の暴言を引き出していたような気配は確かにある。

レコーダーを回して、彼女の怒りを誘引し、決定的瞬間を捉えたのは偶然ではなく、虎視眈々と狙っていたから実現したのだろう。

それにしても、この記事中、彼女の言葉のしおらしさ、バカ丁寧な感じが、空々しく思えてならない。

そんな中、そんな豊田議員を猛烈に擁護する記事を世に送り出した人がいる。

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豊田真由子の恐るべき友人田中絵里緒!これじゃ収束どころか火に油!

田中絵里緒さんである。

田中絵里緒

田中絵里緒

田中絵里緒さんプロフィール

名前:田中絵里緒(たなか えりを)

生年月日:1974年生まれ

出身地:東京都渋谷区

在住:福岡県福岡市

取得資格:保育士免許

職業:城南ママサポート代表(何でも屋)

この人こそ、豊田議員の親友と名乗りをあげたもう一人の才媛である。彼女は桜蔭・東大で豊田議員と同級生だった。

彼女の剛腕さは、2度の離婚を経て、6人の子供を育てるシングルマザーとして、なお力強く人生を楽しく生きているというところである。

そんな彼女が、今、時の人となっているのは、親友が四面楚歌状態になっている中、自身のフェイスブックに「豊田真由子さんと私の関わり」という記事を投稿したからだ。

現在、弁当店で働きながら子育てに奮闘している田中絵里緒さんが切々と認めた文章がこれだ!

2017年夏、豊田真由子さんがメディアで騒がれて自民党離党されるというタイミングで、この文章を書いています。お子様たちにとって、その傷は大人になるまで何十年も残るとともに、何十年経ったら事情を知る人も居なくなっており、もしかしたら豊田さんや私もこの世にいないかもしれない。知りたくても情報が散逸して、調べようもなくなっている。そんな状況は、さらに辛いと思います。
この文章を、豊田さんのお子さんが数十年後に読むかもしれないことと考えて、私の確かに経験して知っている事だけを、隠さず記録しておこうと思います。

田中さんは何十年後かに豊田議員の子供達がこの事件を振り返った時に、面白可笑しく紙面上賑わすため、針小棒大になりがちな世の風潮に、一石投じるつもりでこの記事を書こうとしたようである。

私、田中絵里緒は、名門学校(桜蔭)の中でかなり異端児。中学の時点で学校にエロ本を持ってくる、パーマをかけてくる、もちろん校則違反の色つき模様つき髪飾りは日常茶飯事、などなど。自分が先生に怒られるだけでなく、パーマの時は親も学校に呼び出されて怒られる、ということもありました。うちの親は私に対して怒り「呼び出されちゃったじゃないの!」と言いながらも、この悪ガキ娘はしょうがない、とある程度分かっていました。

自分ははねっかえりだったが、豊田議員は全く逆で、現在伝わってる風評とは相容れない人間だったと主張している。

豊田真由子さんは、私とは全く対照的。問題を起こして先生からのお説教などは完全NG、親が呼び出されて親に恥をかかせるなどはさらにもってのほか。うちの親など比べ物にならないほど、よっぽど厳しいご家庭で、彼女もその親に正面から背くまでの事は出来なかったのでしょう。先生からの評価はパーフェクトな優等生でした。この点は中高生活を通して全く変わらなかったと思います。
そんな対照的な二人が、なぜか仲良くなったポイントは、「ダサい女でモテない人生を送るのはイヤ」「男の人に愛されたい」という所で気持ちが通じ合ったことでした。

この部分、当時の二人の語彙不足感ある状態だったら、それでもいいですが、40歳を過ぎたいい大人が、人を弁護するために排出する文章として、このボキャブラリーはいかがなものかと思うのは、自分だけだろうか?

親や学校の締め付けが厳しく、自分はもっと自由にしたい気持ちがある。でも、名門学校をやめたくないし、頭の悪い女の子たちに交じってバカばっかりやるのも納得がいかない。東大には入りたいし、将来成功するコースを進んで社会的にも認められたいけど、イイ女にもなりたいよね、そのためには学校の言う事だけ聞いてダサくしてちゃダメよね、というようなことを、よく話し合いました。

その裏には私たち二人とも、深く刻まれた「寂しさ」「劣等感」があったので、そこの所が互いにピーンと通じ合ったのでしょう。

確かに、思春期というのは何かにつけ、不安になることが多いです。

豊田さんも私も、頭もよくて可愛くて健康な体を持っていた。もっと自分に自信をもってドッシリしていても良いはずの存在だったと思いますが、私達は、自信の無さと、寂しさを共有していたのです。

でもその後に、頭もよくて可愛くて健康な体を持ってと、バカバカしくも言い切る田中女史に、逆にいささか不安感が募ります。

「キレる」「暴力」「暴言」といった要素も、全て「自分への自信の無さで、もがいている人の姿」なのだということ。 その痛みを理解しないで、いくら批判しても何も変わらないということ。 私も、キレる少女だったのですが、母親と取っ組み合いのけんかをしたり、妹と弟に暴力をふるったりということはありました。

思春期とは、エネルギーの塊で、その力をどう方向付けしたらいいのか分からないもの。

時に暴力をし人を傷つけ、時に暴言を吐き人の心を傷つけるけど、その嵐が過ぎ去った時に、死ぬほど猛省していくのも、また思春期である。

いいフレーズ言ってるなと思ったら、

キレると人の迷惑だし、嫌われる・・・。頭のいい私達はそんなことは分かり切っています。そんな自分にも嫌気がさしていたからこそ、「男の人にモテたい」「いい成績を取ってホメられたい」という二つの願い、そこは絶対譲れないこだわりでした。

異性に対する興味横溢時代は分かりますが、そこに譲れないこだわりを置くあなた、しっかりしてください。

仮に本当そうだとしても、記事を書いてるタイミングは42歳なんですから。

豊田さんは、学校で皆の前で怒鳴ったりカッコ悪い自分を見せるということは全くありませんでした。
学校の教室の中ではない所で、私に対しては、男の人と付き合う付き合わないのやり取りを通じて、ごくたまにですが、電話や対面でキレて怒鳴るということはありました。

皆の前ではキレるはなかったけど、自分に対してはあったし、しかもそれは男絡みで、モテるモテない付き合う付き合わないという、名門中学に似つかわしくないレベルの低いキレるだったのですね。

「女の友情、男で崩れる。男の友情は、女で崩れないのにね。」と豊田さんがある日ぽつりと言ったことがありました。寂しいんだろうなと思いました。 私は「崩れないよ。友達やめないよ。親友だよ」といいました。

豊田議員の名言:

女の友情、男で崩れる。男の友情、女で崩れず。

いやいや、そんなことないです。

女を軸に男どもも荒れ狂いますし。笑

よく覚えているのは、豊田さんがうちの高校の文化祭の時に話していた男の子のことを、私が気に入って、紹介してほしい、と話した時のことでした。
「ああ、あれでいいなら、あげるよ。」
その男の子は、豊田さんのお目当ての彼氏ではなく、たくさんいる男の友達の一人だったのです。
だから絵里緒ちゃんに紹介してあげる、といってデートの場を作ってくれたりしました。彼と二人で会うようにもなりました。

この、あれでいいなら、あげるよ。のフレーズ、なんでもっと慎重に言葉選ばなかったんです?記者の方がはみんなこぞってここを悪く引用しますよ。(苦笑)

でも、彼は豊田さんのことが好きで付き合いたかったようです。私のことは、紹介はされて会ったものの、ラブラブモードが盛り上がることも無く友達モードでした。
私の方は絶対彼氏が欲しかったので、他の友達にも男子の紹介などをお願いしてました。 それを知って、豊田さんが怒って電話かけてきて、「なんで××君を紹介したのに他と二股かけてんのよ!!」といったキレ方でした。 でも、私は恋愛は自由だと思っていたし、早く彼氏が欲しいから他の友達にも頼んだ、と平然と答えたので、その話はそれで終わり、友達関係も続きました。ああ、彼女怒ってるな、という程度で、私は、怒られたから友達やめるというようなスタンスではありませんでした。

つか、この程度の逸話を二人の友情の絆の現れみたいに使うのやめてもらえます?この二人の思考は、何なんですか?

それに、この件は、友達に紹介してあげた男の子が自分のことを好きなので友達と付き合わなかった、すなわち、自分の方が優れたオンナであった、ということにもなるので、彼女の優越感はくすぐられたのかも・・・。と思いました。

容姿では少し優れている豊田さんでしたが、それを頭脳で優越して豊田さんの生態を哀れと思っている田中さん、あなたも哀れです。

この田中絵里緒という存在は、適度に自分より可愛くない、だけど「あんな変な子を連れてきて、なんなんだよ!」と男子サイドに言われずに、そこそこ自分の添え物になってくれる存在として、置いときたかったのかもしれません。
別にそんならそれでいい、という所も、私は飄々としてました。

そんなことを思いながら、今でこそその時の状況を飄々然と振る舞えますが、その時ははらわた煮え繰り返ってたんじゃないですかー?

二人の男性の好みについて触れた内容では、

私は、穏やかで落ち着いた、優しい、おっさん臭い人、大好きなタイプでした。 彼女の方が気に入る男の人は、なんか性格悪そうというか、私には「初対面で論外」と思う人ばっかりでした。 それで「なんであんな人たちが好きなの?」と聞いた時に「お父さんが暴力をふるう、精神的にも完全に威圧するタイプ。お母さんが耐えていて、自分も辛いけれど、そういう男の人ばかり選んでしまう傾向はある」と答えてました。

中高時代の豊田さん、何やら心に深い闇があったのかもしれません。

芸能人で言うと「東幹久、吉田栄作!!」と、当時のバブル人気王道タイプを答えていたので「私はパス!もっと地味でも優しそうな人がいい!」と言い返してました。

何のことはない、単なるミーハーに過ぎなかった訳です。

要は、豊田さんは見た目は気にしていて、友達にも「真由ちゃんの彼氏かっこいいね」と言ってもらえる人じゃないとイヤ、といった臭みというか、プライドが高かったということです。

あの青春時代のしんどいフラフラ感を共有し、一緒に苦しみ悩み励まし合った同志として、私は豊田さんとの友達関係を誇りに思っています。豊田さんをよく知らない人から「極悪モンスター」みたいに言われるのは、とても耐えがたい思いがします。

いやー。ここまでの田中さんの文章見てみますと、周囲の評価、全く揺らぎませんがー。

男性関係で一つの思い出になったのは、高校2年生の京都修学旅行でした。 夜に自分たちで出かけていい自由時間が少しあったのですが、その時間は豊田さんと私二人で出かけようと計画していました。
「絶対男の人を見つけて遊んでこようね」と。
京都で誰かと知り合って、その後遠距離恋愛するわけでもないし、ケータイもない時代です。完全にその数時間だけのことなのですが、「男の人と会おう!」と約束しました。
それくらい、私達は現状に満足せず、ひと時のアバンチュールでも求めていたのだと思います。
他の生徒たちに見られては大変なので、自由時間開始の号令と同時に、バーッと二人で遠くへ動いて、他の生徒が全く来ないエリアに移動しました。
そこで、豊田さんが見て気に入ったちょっと遊び人風の20代前半らしき男性に声をかけました。私はその男性と二人連れでいた、ちょっとダサい20歳前後らしき太めのお兄ちゃんとペアになりました。 私は遊び人風の人は気に入らなかったので、ダサい人は誠実そうで好感が持てて、この時間おしゃべりするだけなら、という感じで適当に話を合わせていました。
旅館に帰った後に酒臭いとばれるので、私達はお酒は飲まなかったと思うけれど、カラオケのある小さいバーで、男たちは飲み、豊田さんと遊び人兄ちゃんは完全に即席ラブラブカップルでした。私とダサ男君は「よーやるなー」と目が点になりながら傍で見ていました。 その後バーを出て、鴨川のほとりの土手でラブラブな二人と、少し離れて手も握らず、地味におしゃべりする二人に分かれました。「ちょっと、学校にばれないように、制限時間内には帰らないといけないので、間に合うように出ますね!」と私は時間管理係。ダサ男くんもその点は協力してくれました。 私がいなくて、あの2人だけにしちゃったら、時間もオーバーし、彼女がどっかへ連れてかれてしまう、とハラハラでした。 いま42歳まで生きてきましたが、「一歩間違えばあの16歳の時点で、二人とも犯罪に巻き込まれて遺体で発見されててもおかしくなかったんだよなー」と、危なっかしい私達を改めて振り返りました。豊田さんも私も、生きていただけでも本当に良かった。

いやいや、あなたたち、死んだ方がマシだったのでは?(苦笑)

女子高生の援助交際やら売春やら、時々取りざたされては何も根本的解決がされないままですが、私が言いたいのは「少女の寂しい気もちや、自暴自棄がどこから芽生えてくるのか」ということを、社会全体として、しっかり見据えて改善してほしいのです。

いやいや、あなたたちのは、単に興味本位そのものです。

少なくとも、これからの子供達が、こういう事をする少女に育ってほしくないし、そのための対策は、ガミガミ禁止することではなくて、自分を大切にする気持ちを、幼少時から身につけてほしいのです。子供が問題なのではなく、大人の育て方の問題です。

いやいや、あなたが言えた義理ではないと思いますがー。

いえいえ、あなたはそもそもこの問題に言及する資格がないように思いますがー。

もう一つ、豊田さんと私の二人が共犯で行ったイタズラがありました。高校3年生の時のことです。
大手予備校が、夏・冬など長期休みの時に行う、東大対策模擬試験。1番からある程度上位の所までは、名前が個人成績表と一緒に受験者全員に配布されるので、「あ、あの子何番。私は何番」と、それぞれに優越感・劣等感をもたされる全国模試です。 高3の夏、模試の日程を見たら、全国完全に同一日程ではなくて、会場確保の関係か、少しずれた日程が存在していました。 「ねえ、高崎、三島、沼津とかの東京近郊なら、日帰りで行って模試だけ受けられるじゃない。私が早い日程で受けて問題を持ち帰るから、真由ちゃんは、それで勉強して一番を取ったら?」
もちろん、こんな悪さを考え付くのは、私です。
「えー、ほんと?」
「うん。受けてきたらすぐ問題渡すね」
それで実行したら、豊田さんはとにかく勉強家なので、全科目に近い一番・満点近いトップ独走ぶりの成績で順位表に載りました。
いくら事前に問題を渡されたって、根性なしの私だったら、ろくに勉強しないから、全国1番なんかとても取れません。
後から同じ学校の生徒たちが、成績を見てザワザワしました。
「ねえ!黒い噂が立ってんだけど!豊田さんこんなに全科目一番なんて、おかしくない!?」
私は、心の中でクククと笑いながら「さぁ?豊田さんはすっごく頭いいから、よほど勉強したんじゃないの」、シラッととぼけてました。
もちろん、こんなイタズラは高3の夏、一度きりです。高3の秋冬ともなると、本試験が近いので、模試は実力を測らなければ意味がないし、私達ももっと本気で必死でした。
くどいですが念のため、東大の本試験や、公務員の本試験で豊田さんがカンニングしたはずはなく、あれはちゃんと実力です。

いやいや、どの試験も絶対眉唾もんだと思いますよー。

思い返せば、中3で出会ったときは真面目一筋だった優等生の豊田さんに、いろいろ悪さをさせたのは私の罪かもしれません。が、私たちの数年間の関係の中で、ケンカはわずか数回のもので、ほとんどはなんだかんだと楽しく言い合って笑いあう、真面目じゃない自分たちを堪能し、ふざける、スリルを楽しむ、という、今思い返しても楽しかった大切な友情でした。

この二人、最悪の友情論を振りかざしております!

当時大流行のディスコ「『ジュリアナ東京』に行こう!このタイミングが一番!」と、また二人で企てました。
「ソバージュパーマかける!ボディコン着る!もう学校の先生にも何も言われない!私たち自由だね!」
そして二人で繰り出して、ジュリアナに着く前に、繁華街で何か、全然関係ない取材をしているテレビ取材陣がいました。
街頭インタビューで、何か特定のテーマについて取材している人たちだったので、そのテーマに沿ったコメント以外は放送されないのに、豊田さんがわざわざ「私たち東大に受かったんですけど!!!」とマイクに向かって発言していたので、「もぉー、これは東大生の取材じゃないんだから意味ないでしょ」と、ぶつぶつぼやく私。
でも、そんな関係ない所で目立ちたいアピールする彼女のことも「面白い、子供みたいで可愛いじゃん」と笑っていた私でした。
ジュリアナに着いた私達、女子大生やOLのお姉さんたちに交じって、ドキドキしながら尻を振って踊りました。この時は私の方がジュリアナで出会った男性と泊まりに行ってしまったので、豊田さんがその後どうしたか見てませんが、ちゃんと帰ったと思います。
結局私の方は親にばれたので、「そんな、知らない男と、ホテルに行って怖くないのか!?」と父親に真剣な顔で聞かれましたが「うん、怖くない。」と答えた私でした。
今母親になった自分としては、自分の子がこのようになったらショックだと思うのですが、この男性依存、モラルのズレは、当時を振り返っても、なかなか言葉で説明できないものがあります。

この田中さん、単なるアホに成り下がっています。

なにかとてつもなく大きなプレッシャーがかかって、その反動として「ハジけたい!」という思いの共有がありました。その危なっかしさ、不安定さを共有していた豊田さんと私でした。 勉強はできるけれど、テストのための勉強は社会的な分別には結び付かず、いわゆる非行少年、不良少年といわれる人たちと、共通する危なっかしさだったと思います。

その事例を持って、非行少年のことを論ずべからず。

でも、あの頃あんなに繊細に揺れ動いていた彼女が、今、ストレスの解消はちゃんと出来ているのだろうか・・・。幸せになれているのだろうか・・・。ということが疑問・心配でした。
私がもはや、豊田さんの近くにいないので知る術がなく、ただただ遠くから、幸せでいてくれることを願っていました。
今、過去を振り返って、大切な友人として思う事。
「あまりに大変すぎる仕事を担わされて、中・高・大学の時とは比べ物にならない心の負荷がかかって、心が折れてしまったのだと思う。これ以上続けられないというSOSだった。」
「心の平穏を取り戻して、自分に向いている別の道を見つければ、また活躍できるし輝ける人。今度は、自分もお子さんも幸せになれるようにしてほしい。周りももう一度、応援してあげてほしい」

これまでの田中さんのエピソード、豊田女史を勇気付ける内容には程遠いと思われます。

豊田真由子さんは、頭脳明晰、細やかで、才色兼備な人であり、記録された時の暴言だけをもって「極悪人」と決めつけるのはやめてほしいと私は思います。

そのためには、あなたがこの記事を撤回するのが一番手っ取り早いと思われます。

「あれほどの人材が潰されるような社会なら、どんな人材だって潰れてしまうよ!」 私はそう思います。

そうした有為な人材がいま、あなたのこの記事のおかげで潰されようとしているのを分かっていますかー?(おしまい)

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